有名人の古着を販売する噂の通販サイト「パワクロ」の取材に、宮城県石巻市まで行ってきました。

パワクロサイト

突然ですが皆さん、”パワクロ”って聞いたことありますか?

パワクロ(power of closet)は東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県石巻市で、被災地支援のプロジェクトとして運営されているブランド古着の通販サイトです。
パワクロの古着は単なる古着ではありません。なんとあのGLAYのTERUさんやPUFFYのお二人ほか多数の有名人によって提供された古着なんです!

今回はパワクロの代表理事三上和仁さんに取材をさせていただきました!

三上和仁さん
(パワクロの代表理事三上和仁さん)

 

1、石巻について

本題に入る前に、「石巻ってどんなところ?震災でどんな被害があったの?ぶっちゃけよく知りません!」という方のために石巻市について少し。

ニュースなどで石巻市という地名は聞いたことがある方が多いかと思いますが、東日本大震災で3000人以上の方が亡くなったところです。
仙台都心部からバスにのって1時間半、思っていたよりも栄えていて驚きました。
駅前には「魚民」や「はなの舞」など有名な大手居酒屋チェーンも。
若い人が多かったのも意外でした。石巻に降り立っておそらく地元の元気な東北なまりギャルがなかなかに印象的でした。

石巻駅前
(石巻駅前)

被害の大きかった地域にも行ってきました。
石巻市の中心街から車で40分程移動したところにある石巻市立大川小学校という所です。

石巻市大川小学校
(石巻市立大川小学校)

石巻市立大川小学校は地震から50分後に津波が襲い、学校に居た生徒、教職員合わせ84名の方が亡くなった場所です。二階部分も破壊されており、津波の大きさが窺い知れます。震災前約163,000人だった石巻市の人口は、亡くなった方、行方不明の方、震災後転出をした方を含めて約12,000人も減ってしまいました。

 

2、パワクロとは

『服の力で被災地を支える』パワクロはピーチジョンの創業者野口美佳さんやジャーナリストの津田大介さんらを発起人に立ち上げられた被災地支援プロジェクトで、東日本大震災による被害が大きかった宮城県石巻市で、有名人に提供された古着を販売する通販サイトを運営しています。
古着の販売によって得られた収益は、地元の方の雇用を確保したり、地場産品販売への投資をしたりという形で被災地支援に活かされています。
石巻市の企業とタイアップした企画も行っており、石巻市で採れたわかめの販売や、古着をリメイクしたユニークなクッションカバーの販売なども行っています。一日2,30点の古着が追加されています。現在三上さんを含む5人で運営されているそうです。

販売されている商品はLANVIN,GUCCIなど高級ブランドから、UNIQLOなどファストファッションまでさまざま。
古着を提供している有名人はGLAYのTERUさん、TAKUROさん、サッカー元日本代表の中田英寿さん、PUFFYの吉村さん、大貫さん、女優の中山美穂さんや、浜崎あゆみさんなど、大物有名人たちです。そんな有名人の方の古着を着ていると考えたらなんだかテンションが上がって自信が湧いてきそうですね!
自分も以前undercoverのトップスを購入したことがあるのですが、誰が提供したものなのかななんて思いを馳せています。(※転売を防止するため、誰がどの服を提供したのかということは分からないようになっています。)

こちらが見せていただいた倉庫と撮影スタジオです。

パワクロ撮影スタジオ
(パワクロの撮影スタジオ)

本格的な撮影機材ですね、後ろのコンクリート打ちっぱなしはシートのようなものでした。こんなものがあるんですね。

パワクロ倉庫
(パワクロの倉庫)

こちらが一部ですが在庫。大切に保管されています。

また事務所には古着と一緒に届いた有名人の方からの手紙がたくさん飾られていました。こちらは事務所に来た方限定の特典ということなので悪しからず。

 

3、パワクロ誕生秘話

あんな大物有名人から古着を集めるなんて、代表の三上さんって元々セレブリティとつながりのある人だったのか!?というとそういうことではないそうです。

元々東京でWebクリエイターをしていたという三上さんは宮城県出身ということもあり、東日本大震災の後、石巻市で被災地の支援を行っていました。
石巻市の十三浜というところで採れるわかめの通販サイトを作ったりもしていたとか。パワクロでわかめが販売されているのはそのご縁なんですね。

そういった活動をしている中、仙台にパワクロ発起人の一人津田大介さんがテレビの収録のためいらっしゃっていたそうです。三上さんは津田さんのツイッターを見て収録の現場へ軽い気持ちで足を運んでみました。しかも番組に出演して自己紹介までしたとか。

実はその前日津田さんはパワクロ発起人の他の一人ピーチジョン創業者の野口美佳さんとパワクロの話をしていたそうです。(ちなみに野口さんは仙台出身)
震災以降、被災地支援を行っていた野口さんはこれからは雇用が必要だと感じていました。 野口さんを含めて有名人の方は大量に服を捨てる機会が多いそうです。保管しきれなくなって捨ててしまうのももったいない! だから古着のネット通販をやろうと!
「津田君、誰か良い人いないの?」と野口さんに言われ津田さんは「探しておきます」と返事をしていたそうです。

その翌日津田さんと出会い意気投合して、しかもその夜津田さんと牛タンを食べようと仙台の街を歩いていたら、たまたま浜崎あゆみのライブで仙台に来ていた野口さんと偶然にも遭遇したとか。本当に偶然に偶然が重なって産まれたプロジェクトなんですね。

 

4、波瀾万丈!?パワクロ代表三上さんのここ数年

 

・会社が倒産!いつの間にかフリーのWebクリエイターに

大学卒業後はIT企業でECのコンサルなどをされていたそうです。三上さんのECのノウハウはそのころから蓄積されてきたということですね。以前からサイト作りをしてみたかったという思いもあり、転職してWebディレクターの仕事をされていました。
しかし、なんと働き始めて一年半でその会社が倒産してしまい、給料も未払いという状態に。結局その仕事を引き続きしていく流れの中でフリーのWeb屋さんになっていたということです。

 

・料理人を目指しかける!?

フリーとして働いていたとき、東日本大震災があり、宮城県出身の三上さんは震災直後から被災地支援のボランティアを数ヶ月されていました。夏には活動がある程度落ち着き、東京へ戻ってきて三上さんはまた日常の生活に戻っていこうとしていました。
しかし、このまま日常に戻っても仕方ないと考え、ある日西荻窪のとある料理屋の求人を見て「9月までこの求人があったらここで働こう!」と思ったそうです。
そうして過ごしていると、8月末に被災地支援の依頼の電話が入り、そちらへ行くことになったそうです。もしその電話がなかったら三上さんは今頃西荻窪で美味しい料理を作っていたのかもしれません。

 

・朝はわかめ、昼はサイト制作

その電話があって再び被災地支援のため再び宮城県へ。コミュニティカフェの運営に携わり、その後石巻市の十三浜というところで漁業支援をすることに。遠藤水産に住み込みでわかめ漁を手伝い、その傍らでそのわかめを全国に販売するためのWebサイト制作をされていました。これが結構売れたそうです。

 

・パワクロ設立へ

わかめ漁が落ち着いた頃仙台に戻り、津田大介さん、野口美佳さんと出会い、パワクロを設立して今に至ります。

うーん、とても面白い生き方ですね。わかめ通販のサイトもパワクロも全て三上さんのデザイン、コーディングなのですが、営業、プログラミング、デザインとも「すべて中途半端にできるのがよかったのかな」とご本人は語っていました。もちろん中途半端ではなく、全て器用にこなされているから団体を運営できているわけで、器用裕福という言葉もあってもいいかもしれませんね。

 

5、最後に

三上さんには取材後石巻の街を連れ回してもらい、またそこで出会った石巻市で活動していらっしゃる多くの方にもよくしてもらいました。ホスピタリティに感動!本当にありがとうございました!

頑張れ石巻!頑張れパワクロ!

「服の力で被災地を支える、パワクロ」のサイトはこちら